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闇夜(やみよ)()く、あの(とり)(よう)に。

 

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「鶫」
 大きな声と共に華やかな雰囲気の美女が大きく手を振りながら、駅の構内を駆けてくる。駅内に居る人々は皆彼女の勢いに振り返り、またその圧倒的な美しさに溜め息さえ漏らす者も居た。
7cmはゆうにあるピンヒールを諸共せず、彼女は軽々と大地を蹴り、息を切らせて鶫の前で立ち止まる。
「支那、別にそんなに急がなくったってよかったのに」
 鶫が苦笑交じりに言うと、彼女――支那は一転して子供っぽく頬を膨らませて口を開いた。
「んだよっ、遅れちゃ悪ィと思って走ってきたのによぉ」
 あれから
6年という歳月が過ぎ、鶫もこの春無事に大学を卒業した。支那はというと、2年前に県内の短大を卒業し、今は出版社にて駆け出しのルポライターをしている。彼女はこの6年の間に見違えるほどに美しくなった。肩までだった漆黒の髪も、今は腰に届くほどの長さになっている。少年といっても差し支えないほどだった幼児体型も今では見る影もない。大きな瞳を縁取る長い睫毛も、整った鼻梁も、オレンジのルージュが映える肉感的な唇も、人を引き付けるに相応しい魅力を放っている。最近は少し、薫子と似てきたように感じるのは気のせいであろうか。
 まあ、外見は変わったものの、中身や口調は相変わらずで、そのギャップもまた彼女の魅力のひとつとなっていた。
「まあまあ、早くしないとレストランの予約に間に合わなくなる」
「またそうやって誤魔化す……」
 鶫が笑いながら宥めると、支那は再び不満の声を挙げた。とはいえ顔は笑っているのだけれど。
「でも、変わったよね、支那」
「そっか?」
「うん。だって高
1ん時は山ザルっていうか……見るからに『少年』って感じだったじゃないか」
「や、山ザル
!? 俺……じゃねーや、あたし、そんなにも不細工だったか?
「違うよ、そういう意味じゃなくて。動きとか仕草だとかが、小動物っぽかったってこと」
「褒められてるんだか貶されてるんだかイマイチよくわかんねーな。んじゃさ、今はどうなんだよ」
 少し悪戯っぽい瞳で支那は鶫を軽く首を傾げた。
「今はちゃんと女のひとに見えるよ。……少なくとも外見は、ね」
「外見はって何だよ、外見はって!」
 口を窄める彼女の額を軽く小突く。
「だって、未だによく自分のこと“俺”って言うの直らないだろ?」
「うっ」
「言葉遣いだって悪いまんまだし」
「ううっ、……痛いところを付かれたぜ」
「ほら、また」
 笑いながらからかうと、支那は今度は眉を顰めキッと鶫を睨みつける。
「るせーっ。それより、用事ってのは何なんだよ。いきなり呼び出したりして」
 そう。鶫は今日、用事があるとだけ言って支那を此処へ呼び寄せたのだ。
 鶫は飄々と言ってのける。
「五和、元気?」
 尋ねると拍子抜けした様子で支那は言う。
「……なんだ、そんな事かよ。あー、五和は元気だぜ。にくったらしいくらいにな
!!
「そう、よかった」
 支那は別の言葉を期待していたらしく、がっくりと肩を落とした。そんな様子に自然と笑みが零れ、鶫はコートのポケットないに潜むプレゼントを掌で転がした。今日のためにバイトをして貯めた貯金で買った、シンプルなシルバーのウデの指輪だ。小さいけれど、ダイヤモンドもついている。
「冗談だよ。本題はレストランについてから話すよ」
 そのとき、ふと鶫の鼻腔を懐かしい香りが擽った。
 高校
1年の春、何度となく嗅いだ、あの薫子の匂いだ。
「支那、もしかして香水つけてる?」
「んっ? ……ああ。カルバンクラインのコントラディクションってヤツだけど。それが何か?」
 不意に、胸に何か熱いものが込み上げてきた。
 何故だか知らないけれど、無性に泣き出したい気分になった。
『香りはね、人の思いを蘇らせるのよ』
 薫子がそう言っていたのはいつのことだっただろうか……。
 あの頃には戻りたいとは思わない。無論、戻れないということは百も承知である。それでも声をあげ何もかも曝け出して、子供の様に思い切り泣いてしまいたかった。
 しかし、口唇をきゅっと真一文字に結び、鶫は精一杯に微笑んだ。
「支那にはコントラディクションは似合わないよ。後で僕が別の香水を買ってあげるから。そうだな、クリスチャンディオールのファーレンハイトや、オリジンズのスプリングフィーバーなんかが似合うんじゃないかな」
 言いながら、鶫は再び歩き出した。
 今度は、後ろではなく、前に。


END

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